船橋と習志野の、近所のことを、少しずつ。
やさしい日本語 / Easy Japanese

船橋大神宮の丘に、海を照らす灯台がある

神社の明かりが、船の目印だった

船橋大神宮として親しまれる意富比神社。その境内の小高い丘に、瓦屋根を載せた三階建ての建物があります。名前は灯明台。神社の施設でありながら、かつては夜の船橋沿岸を行く船へ位置を知らせる、灯台の役目を担っていました。

船橋市の文化財解説によると、江戸時代の船は境内にあった常夜灯を航海の目印にしていました。海から見える高台の明かりは、いまの道路標識や案内板とは違う時代の道しるべです。しかし、その常夜灯は1868年、戊辰戦争の戦火で社殿とともに焼失しました。

地元の寄付でよみがえった光

船の安全を支える明かりの再建を望む声が高まり、地元の有志が寄付を集めました。そうして1880年、明治13年に完成したのが現在の灯明台です。行政が建てた官設灯台ではなく、地域の力で造られた政府公認の私設灯台でした。

完成から廃止までの約15年間、灯明台は船橋の海を照らしました。いま灯明台のある宮本から海岸線までは市街地が続きますが、当時は境内の丘から海と船を見渡せる場所でした。建物だけを見るのではなく、そこから海へ向かう視線を想像すると、船橋が海と結び付いた町だったことがよく分かります。

一階・二階は和風、三階は洋風

灯明台は高さ約12メートルの木造三階建てです。一階と二階は和風で、瓦葺きの屋根を持ちます。その上の三階だけは、西洋式灯台の意匠を取り入れた六角形の灯室です。遠くから見ると寺社の建物のようで、近づくと上部に灯台らしい形が現れます。明治初期に、日本の大工が新しい西洋建築の要素を取り込んだ擬洋風建築としても目を引きます。

船橋市の探訪資料は、一階と二階を、点火や見回りを担う管理人の宿舎として使ったとみられる和室と紹介しています。三階は光を放つ灯室です。灯台という一つの目的の中に、働く人が過ごす和の空間と、新しい技術を象徴する洋の空間が上下に重なっています。見た目の珍しさだけでなく、毎晩の仕事を支えた建物として考えると、灯明台が暮らしに近い存在だったことも感じられます。

1962年には千葉県の有形民俗文化財に指定され、2016年には船橋市の景観重要建造物にもなりました。県の文化財としては、人々の生活や生業に関わる資料を守る「有形民俗文化財」です。航海の実用品だった建物が、地域の歴史と景観を伝える文化財として残されているのです。

消えたのではなく、意味を変えた光

灯台としての役目は1895年、明治28年に終わりました。それでも灯明台そのものは失われず、現在まで境内に立っています。船橋市は、毎年1月の灯明台祭で年に一度点灯し、新成人の門出を祝う行事を紹介しています。船の安全を願った光が、いまは若い人の未来を照らす光として受け継がれています。

境内を歩くときは、建物の正面だけでなく、丘の高さや海の方向にも目を向けてみてください。戦火で失われた常夜灯、再建を願った人々、和と洋を重ねた木造建築、そして現代の祝福。一つの灯明台から、海辺の町・船橋が積み重ねてきた時間が見えてきます。