船橋と習志野の、近所のことを、少しずつ。
やさしい日本語 / Easy Japanese

「習志野」は、市より先に原の名前だった

市より81年早い「習志野」

習志野市が誕生したのは1954年8月1日です。ところが「習志野」という名前は、それより81年早い1873年、明治6年の記録に現れます。最初から今の市域を指した名前ではなく、広い原野に付けられた名前でした。

習志野市の歴史資料によると、この一帯はもともと大和田原と呼ばれ、現在の習志野市だけでなく、船橋市と八千代市にもまたがっていました。市境が引かれる前から続く土地の広がりを、三つの市に残る地名や史跡から想像できます。

1873年、陸軍演習の後に命名

1873年4月29日、明治天皇は大和田原で行われた陸軍の演習を視察しました。翌30日にも演習が行われ、5月13日には、この原を「習志野原」と名付ける命令が出されました。習志野市の公式年表や広報資料は、この経過を紹介しています。

ここで日付を丁寧に分けると、視察と演習が行われた4月29・30日と、命名の命令が出た5月13日は同じ日ではありません。よく知られた地名でも、出来事を順番に置き直すと、名前が決まるまでの時間が見えてきます。

習志野原はその後、軍の演習場として使われ、終戦まで地域の暮らしと深く関わりました。いまの穏やかな住宅地や学校、公園の風景だけからは想像しにくい歴史です。土地の名前には、街の成長だけでなく、軍事施設が置かれた時代の記憶も重なっています。

「見習え、篠原」は、確定した由来ではない

習志野の名の由来として、「篠原国幹という軍人の指揮が見事だったため、明治天皇が『篠原を見習え』と言い、それが『習志野』になった」という話が広く知られています。語呂もよく、覚えやすい物語です。

しかし、習志野市の史料解説は、この言葉を裏付ける当時の史料が確認されていないことを指摘しています。一方で、1873年5月13日に習志野原と命名されたこと自体は、『明治天皇紀』などの記録で確かめられています。

つまり、「習志野原という名前が付いた」という事実と、「見習え、篠原が語源」という説は、確かさが同じではありません。土地の昔話を楽しみながらも、記録で確認できる部分と、後に語られるようになった部分を分けておく。それが地域の歴史を大切に読む方法です。

市境を越えて残る名前

現在の習志野市は、津田沼町が習志野町へ改称し、千葉市の一部を編入して市制を施行したことで生まれました。市名には、81年前から地域で使われていた「習志野」が選ばれました。ただし、かつての習志野原と今の習志野市の境界は一致しません。

船橋市には習志野台や習志野という町名があり、八千代市側にも演習場の歴史を伝える場所があります。行政の境界を越えて同じ名前の記憶が点在するのは、もとの原野が三市にまたがっていたからです。

地図を開いて「習志野」の文字を探すとき、市名だけでなく周辺の町名にも目を向けてみてください。一つの名前が、現在の境界より大きな土地の歴史をつないでいることに気づきます。