船橋と習志野の、近所のことを、少しずつ。
やさしい日本語 / Easy Japanese

「津田沼」の三文字に、村々の記憶が残っている

いつもの三文字を、ほどいてみる

電車の行き先や待ち合わせの場所として、毎日のように目にする「津田沼」。ひと続きの名前として口にしている三文字には、この地域の村々が一緒になった時の記憶が残っています。習志野市の歴史紹介によると、谷津の「津」、久々田の「田」、鷺沼の「沼」を組み合わせた名前です。地図で谷津や鷺沼を探すと、駅名の中に近所の地名が入っていることに、あらためて気づきます。

この名前が生まれたのは1889年、明治22年。谷津・久々田・鷺沼・藤崎・大久保新田の五つの村が合併し、津田沼村になりました。市の年表では、誕生時の人口を約4,500人としています。名前に使われたのは三つの村の文字ですが、出発点は五つの村だったのですね。三文字の由来と、合併に加わった村の数は、分けて覚えておくと地域の広がりが見えてきます。

記録に残る、もう一つの候補

市の「新ならしの散策」には、名前を決める過程の興味深い記録が紹介されています。当時の『千葉郡町村分合取調』では、新しい村名の理由を記した部分に、久々田村にある「菊田」の地名に従うという趣旨の文章があり、その上に赤い線が引かれているそうです。市は、いったん菊田村とされた案が、津田沼村へ変更されたことを示すものと説明しています。

ただし、変更の理由そのものは記録に書かれていません。ここは、誰かが反対した、どの村の意見が強かった、と話を膨らませずにおきたいところです。分かっているのは、別の名前を考えた跡があり、最終的に津田沼になったということ。使い慣れた名前も、最初から当然のように決まっていたわけではない。その小さな発見だけで、駅の看板が少し違って見えそうです。

村の名前から、駅と町の名前へ

市の年表をたどると、津田沼駅の開業は1895年、明治28年です。村の誕生から六年後に、鉄道の駅にも津田沼の名前が現れます。その後、1903年、明治36年には津田沼村が津田沼町になりました。今は駅の印象が強い名前ですが、順番を見てみると、村名のほうが先だったことが分かります。

鉄道ができ、町が変わっても、名前は次の時代へ渡っていきます。古い地名を調べる面白さは、なくなったものを探すだけでなく、今も使っている言葉の来歴を知れることかもしれません。遠くの史跡を訪ねなくても、ふだん使う駅の名前が、その入口になります。

習志野市になる日にあった、小さな手続き

もう一つ、市の史料解説が教えてくれる話があります。1954年8月1日に習志野市が誕生する際、津田沼町はそのまま市名を変えたのではなく、まず「習志野町」へ改称し、同じ日に千葉市の一部を編入して市になる手続きを取りました。県に残る申請書にも、習志野町という名前が記されているといいます。

「一日だけの町」と聞くと、看板や住所が一斉に変わる光景を想像したくなりますが、市の説明は書類上の存在についてのものです。津田沼村、津田沼町、習志野町、習志野市。年表と手続きの順番を並べると、今の市名にたどり着くまでにも、幾つかの段階があったことが分かります。

次に津田沼で待ち合わせをするときは、三文字を一文字ずつ眺めてみてはいかがでしょう。「津」は谷津、「田」は久々田、「沼」は鷺沼。何気なく使っている名前の中に、近所の村々が並んでいます。いつもの道を歩く時にも、地名が伝える街の時間に、少し耳を澄ませてみたくなります。